タヒボ茶販売に関する社長の想い

代表取締役の下本剛三でございます。

下本商会は建設や土木業用品の総合商店として、94年続く金物屋です。

そんな老舗の金物屋がどうして「タヒボ茶」の販売をしているのか?
きっとそうお感じの方も多いと思いますので、少しお話をさせて下さい。

やんちゃだった幼少期

19XX年、伝統の町岐阜県の飛騨高山で、金物屋の次男として私は生まれました。
兄と姉の下、末っ子で生まれた私はとても元気な子供で、
近所の家の壁に落書きをしてしまい菓子折りを持って母が謝りに行くなど茶飯事で、
とてもやんちゃだったそうです。

母はとても明るい人で、おちゃめな人でした。
私はそんな母のことが大好きでした。
大好きな母は、末っ子の私を大変可愛がってくれました。

三代目社長に

大学を卒業後、私は名古屋の企業に就職しました。
当時の会社で妻とも出会い、名古屋で生活の基盤を築いていた頃、
突然父から会社を継がないかとの話がありました。

兄は他にやりたいことがあり、姉は嫁いでいた為、私に白羽の矢が立ったのです。

生活も安定していたため迷いましたが、歴史のある金物屋を終わりにしたくなかった為
右も左もわからない状況で、三代目の金物屋社長に就任したのです。

不安ではありましたが、地元に帰ると大好きな母もいます。
「これから母と一緒に二人三脚で頑張っていこう」
そう思っていた矢先、母の体調に異変が起こり始めました。

最愛の母に起こった異変

どんどん元気がなくなる母に、
体に良いと聞いたものはなんでも取り寄せました。

タヒボ茶もその中の一つです。
私は母の為にタヒボ茶も沢山取り寄せていましたが、
その良さを説明しきれず、母にはあまり伝わらなかったようです。

「良くなって欲しいだけでは、なかなか伝わらない」

本当にもどかしい気持ちで一杯でした。
タヒボ茶はほとんど手を付けませんでしたが、出来ることは最善を尽くしたつもりです。

そんな私の思いも通じず、母は天国へ旅立ってしまいました。

衝撃的な事実

「結局、母のために何もできなかった…何ひとつ役に立てなかった…」

今までにない喪失感でいっぱいになり何もする気が起きない日々。
もっとやれることはなかったのか、自問自答の毎日を過ごしました。

そんなある日、弊社の社員から相談を受けました。

「実は父親の体調が良くないのです。会社にある、タヒボ茶を父に飲ませてみてもいいでしょうか」

母はほとんど飲めなかった、タヒボ茶です。

何とか父親の体調を回復させたいという社員の申し出に
「上手く説明できないけれど、飲めるようだったら是非」とタヒボ茶を渡しました。

そして、その社員の勧めにより父親はタヒボ茶を飲み始めたのだそうです。

しばらくして、父親が元気になったと大変社員に感謝されることとなりました。
良かった!という喜びと同時に、大きな後悔をしたのです。

「どうしてあの時、母に強く説得しなかったのか。もし飲んでいれば母は・・・」

悔やんでも悔やみきれない気持ちがこみ上げてきました。
しかし、ニコニコして喜んでいる社員の顔を見ていると、
その後悔の気持ちが徐々に使命感に変わっていきました。

これはきっと、天国の母が「もっと人様の為に働きなさい」と言っているに違いないと。


私は沢山の方にタヒボ茶を安心してお飲みいただける説明の仕方などを勉強しました。
同じような悩みを持つ沢山の方に、安心してお試しいただけるような環境も整えつつ、
タヒボ茶の販売をスタートさせました。

専任スタッフの丸野もその時に採用し、現在では当社ネットショップの店長としても活躍してくれています。
きめ細やかな応対をしてくれるので、多くのお客様に喜ばれているのを見ていると本当に嬉しく思います。

タヒボ茶の販売を始めて15年が過ぎました。

最愛の母に飲ませることが出来なかったタヒボ茶ですが、今は沢山の方に感謝をされる
様子を天国から見守ってくれている母が、一番喜んでくれていると確信しています。

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